「卒業したら、俺と結婚してくれ」
真っ赤な、それでもとても真剣そのものな顔で倉持が言った。引退して、寮の部屋が一緒になって浮かれた。お互いに進路が決まって、進む先が分かれて、しばらくはどちらも進路には触れずに過ごしていたけど、俺はどこか不安だった。
男同士だが、俺たちは二人とも斑類だ。猿人ではないから、結婚出来ないことはない。子孫を残すことを第一に考え、婚姻に重きを置かない中間種以上の斑類の中では稀と言えば稀ではあるが。
倉持は猫又の中間種、チーターだ。替え魂をしているとすればおそらくそれ以上、半重種か重種と言うことになるだろうが、倉持本人の性質としてその可能性は低いだろう。結婚なんて言い出す前にきっと自分の正体を明かしてくれていると思う。
元ヤンで言葉は乱暴だし手も足も出るのが早いが、誠実で優しい男なのだと誰よりも知っている。
「…嬉しい、けど、考えさせて欲しい」
野球第一で、両想いだと分かってから一年以上経っても俺たちは未だにセックスに至っていない。キスはしたし抱きしめ合って眠ることもあるし、発情期に抜き合いをしたこともあるけれど俺はまだ、一対一で倉持の前に一矢纏わぬ自分の姿を晒したことはない。
「ごめん、倉持のこと、俺だって、あんま言葉にはしてなかったけど、大好きだよ。でも俺、お前にまだ隠してることがある」
「…隠してる、こと?」
教えてほしい、と珍しく不安げに倉持の鋭い瞳が揺れる。どんなお前でも愛おしいと、二人きりで居る時に伝えてくれる倉持の目が、今は不安でいっぱいだ。
「…ごめん、まだ、言うのは怖い…卒業式までにはちゃんと覚悟決めるから、覚悟決めて倉持に言うから、それ聞いてからもう一回、その、プロポーズして欲しい…」
言いながら途中でなんてことを言っているのだと気付き俯いてしまうと、真っ赤になっているであろう頬に倉持の手が伸びてきてそっと撫でた。
「ヒャハ!いつまでも待つし、お前の隠し事が何だって何度だって言ってやるから安心しろ」
「…やだ、俺の彼氏超かっこいい…」
「当然だろ!」
照れてほんのり頬を染めながら倉持が笑う。俺の隠し事に不安そうだった影はもうない。
「…ごめんな、俺が臆病なせいで」
「まあなんとなく、なんか隠してやがるな、とは思ってたし」
本当に、人の事をよく見ていると思う。ちらりと俺を見ると、別に今それを暴く気はねえよ、と笑ってグシャグシャとよく沢村にしているように俺の頭を撫でた。
「…俺も、ちょっと焦ってんだよ」
「え、何で?」
「プロ野球選手なんか日本じゃ珍しいぐらい中間種以上がうじゃうじゃいる職業だろ。…俺はそばにいてやれねえし、マウント取られちまうかもしれねえだろ」
言いにくそうに目を逸らしながら倉持が告げた内容は独占欲の現れで、それだけで嬉しくなってしまう。
「…俺、軽種の犬だよ?狸だよ?わざわざそんなことする?」
「その分、繁殖力は強いだろ」
「じゃあ倉持がブラインドかけてよ。中間種なら出来るでしょ?俺、倉持だけ見えたらそれでいいよ」
「やだよ。お前を無理やり閉じ込めたりしたくねぇ」
強くて優しくて真っ直ぐで、かっこいい。こんな奴が隠し事ばかりの俺を好きだと、愛してると恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら言ってくれるのだから堪らない。
「くらもち」
「…何だよ」
「…大好きだよ」
嫌な気配がするな、とは思っていたのだ。
それでも、青道はそれなりに斑類が集まりやすい学校でもあったから、校内は勿論、寮だって野球部のグラウンドだって見た目よりずっとしっかり警備されていた、はずだった。
「あれ?倉持は?」
「もっち先輩?今日は来てねえっすよ。御幸と来んのかと思ってやした!」
ブンブンと尻尾を盛大に振りながら沢村が寄ってきた。沢村は魂元のコントロールが下手くそだが隠しようもない程普段から犬っぽいし、犬であればそう厳重に隠すこともないのだろう。
俺たちが引退して部屋を移った後も、俺や倉持を見かけると沢村は子犬のように嬉しそうに駆け寄ってくる。その後ろには小湊や降谷がいたり、その奥で奥村が俺に威嚇していたり、いつも沢村の周りは賑やかで明るい。引退前、倉持はいつもそのそばにいた。引退してからも部活に顔を出す時はいつだって沢村のそばにいたのに、今日は先に顔を出すと言っていたはずの倉持がそこに、いない。
「…おかしいな、先に行ってるって言ってたのに…」
「…もっち先輩が来てたら俺が気付かないはずないと思うんすけど…」
学校内で先生にでも捕まって手伝いをさせられているならいい。だけど倉持は鞄を持って教室を出ていたから、わざわざ帰る支度の出来た荷物を持った生徒を捕まえて手伝いをさせるような教師に心当たりはない。
不審がる俺にだんだんと沢村も不安げな顔になって行く。ちょっと探してくるわ、と不安そうな沢村の頭をガシガシと誤魔化すように乱暴に撫で回して振り返ると御幸!と寮の方角からゾノのデカくてよく通る声が俺を呼んだ。
「お前、今日は倉持と一緒やないんか?!」
「アイツ先にグラウンド顔出すって言ってたのにいねえからこれから探しに行くとこ」
ゾノ知らねえ?と聞き返すとゾノが腕に抱えていた鞄を俺の方へ差し出した。
「それ、倉持のやろ。土手んとこにそれだけ落ちとったから持ってきたんや」
ゾノの言葉にゾワリ、と背筋を嫌な汗が伝った。嫌な予感がする。
「…ゾノ、監督かコーチか、礼ちゃんでもいいからとにかく大人呼んで来い。沢村、部員全員いるか点呼しろ。最悪斑類だけでもいい!」
「み、御幸センパイ?!」
急に引退前のように指示を出し始めた俺に、沢村が猫目になっている。騒ぎを聞きつけて小湊と金丸が近寄ってきたので混乱している沢村は彼らに任せることにした。
「たぶん倉持、拉致られた」
「おい、それやったらお前も危ないやろ?!」
「いや、たぶん、俺のせいだ!」
「は?御幸?」
「お前らは絶対単独行動すんなよ!」
ゾノの俺を呼ぶ声を振り切って走り出す。こんな時、倉持みたいに足が速ければ良かったのに。
そしたらきっとすぐに見つけてやれるのに。
「…み、ゆき…?」
グラウンドで人一倍よく通る声に呼ばれた気がして意識が浮上する。顔を上げると頭がグラグラと揺れるような感覚に吐き気がした。
「…んだ、これ…」
目隠しをされ腕を縛られている。自慢の足もひとまとめに括られてしまったようで身動きが取れない。
身動いだだけでひどい目眩のような酩酊感があってとてもじゃないが走って逃げるなんてことはできなさそうだ。さらに車にでも乗せられているのか、意識が揺れるのとは別の物理的な振動も感じた。
俺が目を覚ましたことに気が付いたのか、妙に甘ったるい匂いのする布で誰かに鼻と口を纏めて塞がれると平衡感覚が更に怪しくなっていく。
効きすぎているな、と知らない男の声がする。聞き覚えのない声だし、何が効いているんだと言ってやりたくなったが、吐き気に言葉は出なかった。
「重種でもなきゃこんなに効くはずがないんだが」
低い声にああこれはセックスドラッグか、とようやく納得した。御幸に擦られた時以上に勃起していて我ながら引いた。
グルル、と獣のような唸り声が自分の喉から無意識に漏れた。こんな声は知らない。俺の声じゃない。俺は中間種のチーターで、俺は……じゃない!
頭に血が昇りすぎたのか、いつの間にか眠っていた。眠る直前の記憶が曖昧でぼんやりと微睡んでいると嗅ぎ慣れた御幸の匂いがしてホッとする。
甘い、百合の花のような匂いがする。心地良くて、好きだなぁと匂いに擦り寄るとポタリ、と頬が濡れた。御幸が泣いている、と気付けばブチリと腕を縛っていた何かが音を立てて外れた。
「御幸!」
叫ぶように名前を呼ぶと、何かに釘付けになりながら涙を流していた御幸の少し薄い色の瞳が俺を捉えて緩んだ。背後でドサリと何かが床に落ちる音がするが今はそんな音にかまっている場合ではない。
「…くら、もち…くらもち」
トロリと蜂蜜のように甘く溶ける。愛おしいと瞳が語る。いつもより色が薄くてチカチカと輝いているような御幸の瞳が俺を見た。
「…良かった、間に合った」
ぎゅう、と抱き締められてされるがままに自分も腕を御幸の背中に回すと、柔らかな羽毛に触れた。
「…お前、これ…」
「…うん。ごめん。これが俺の秘密」
また泣きそうな顔で御幸が笑う。認めないぞ、とどこかで聞いた男の声が耳に入った。
「あなた達に認めてもらおうなんて思ってません」
スッと背筋を伸ばした御幸が凛とした声でそう言った。御幸の視線を辿るとうちのジジイより少しだけ若そうに見える男が、床に膝をついてなんとか体を起こしながら唸る。
「俺は母さんみたいに、自分で選んで幸せになります」
「御幸…」
「倉持、立てる?帰ろう。みんなの所へ」
御幸に支えられてなんとか立ち上がると少しだけふらついた。御幸に聞きたいことがたくさんあった。本当の魂現のこととか、あの人は一体誰なのか、とか。
「ただの猫又に、お前が手に負えるか!」
男が叫ぶ。チロチロと口から覗く舌は蛇目のそれだ。
「…地を這う蛇に、俺が自由にできると思ったら大間違いだ」
バチン、と大きな何かを弾く様な音がして男がよろめいた。みゆきを振り返るとその目が金色に光っている。重厚な扉が開いて、旦那様!と男に向かってそのセキュリティであろう犬達が駆け寄った。
「…おう、なんか、すげーなお前」
「…うー、お前にはこんなとこ見せたくなかったのに…」
嫌そうに顔をしかめた御幸の頭に手を伸ばして撫でてやると眉間のシワが少しだけ緩んだ。
「え、何でだよ。かっけーじゃん」
笑いかけると真っ赤になってへら、っといつもの気の抜けた笑顔を浮かべている。惚れた欲目か、そのあまりにも貴重な魂現を隠されなくなったからか、いつも以上にキラキラと輝いて見える。
「…あと俺も、お前に隠し事あったみてえだし、あんま気にすんな」
俯いてしまった御幸の唇にちゅう、と吸い付く。すぐに離れるとまた嬉しそうにその整った顔が綻んだ。
「はー、帰るか。くそ、今日は目一杯野球できると思ったのによー」
「はっはっは、惚れ惚れするほどの野球馬鹿だな、倉持も」